ぼつねん☆がっぴ

陰キャのブログです。

ネタバレしないガルパンの話

お久しぶりです。
相変わらず童貞です。

そろそろ本格的にブログの移行をしなくちゃいけませんね・・・。

それはそうと、ガールズ&パンツァー最終章第2話を見てきました。
素晴らしいです。色々内容について語りたい事は、幸いにも友人らと見に行った為現地である程度消化しきれていますので、今回は内容関係無い個人的な思うところの話をさせて頂きます。

僕は作品の世界観にかなり浸るタイプで、ガルパンの劇場版を初めて見た時、エンディングが終わったその時、自分だけ取り残されたような切なさを感じました。「君の名は。」を見た時も同じ感情が身体の中を駆け巡り、結果的にどちらの作品も複数回劇場に足を運んで見る事になりました。
というのも、僕が見れるのは映像化された部分だけなんです。物語は結局スポットライトが当たる部分を切り取ったもので、その前にも後にも登場人物にはそれぞれの生活があります。しかしそこは見れないんです、部外者のアタイ達は。

二次創作に至ったのはその辺の感情を吐き出したかった、というよりは内側に引き込まれたかったからですね。真逆の事言ってるようですけど、僕の中では同じ事。自分の中にあるあの後こうしてんじゃないかな、こんな事もあったんじゃないかなという妄想を吐き出す事でまた物語の中に入る事ができるんです。作品に取り残された自分を無理やり作品に追い付かせるのが二次創作みたいになってしまってます。結果として。

話をガールズ&パンツァー最終章第2話、いえ、ガールズ&パンツァー最終章という一つのまとまりにしておきましょう。とにかく戻ります。最終章第1話を見る直前は正直なかなかにクリエイティブな気持ちが死滅しており、創作とかする感じじゃないなーという気持ちでした。しかし見たらもうパワーを貰いましたね。やっぱり創作はしなければならない。インプットしてアウトプットしなければならない。強く感じました。
そして最終章第2話を見ました。より凄い。社会人になり完全に絵描きとして"終わって"いた私ではありましたがこうしちゃいられんぞと。二次創作も一次創作も力入れ直さないとなと思いました。

そこで一つ違和感に気づきました。取り残されていないんです。作品に。そう言えば第1話の時もそうだったなと後から気づきました。ガールズ&パンツァー最終章、終わりに向かって進んでいるわけですが、まだ終わっていないのです。完結しない限りは取り残されないのだなと。
皮肉と言いますか、終わりが明確で無かった(その時点ではここで完結する可能性も続きがある可能性も両方存在した)劇場版を見た後には取り残された気持ちを味わい、終わりが明確である(6話で完結)最終章を見た時は取り残された気持ちを感じない。

何年後にガルパンが完結するのかは想像がつきませんが、最後の最後は数年越しの"取り残された気持ち"が襲って来そうで恐ろしいですねというお話でした。

襲ってくるのはスク水美少女だけで十分ですね。